日本全国に数多ある陶磁器窯のなかでも中世からの長い歴史と伝統を誇る6つの窯が、「日本六古窯」。
これらの窯で生産された陶磁器は格式ある技法によって作られた独特の風合いを持っており、その希少性も相まって格別の価値を持っています。
本記事では、そんな日本六古窯それぞれの歴史や特徴、高い価値の背景に迫ります。
Contents
1. 日本六古窯とは
「日本六古窯」とは、その読み方を“にほんろっこよう”といい、中世から現代に至るまで長きにわたって存在してきた伝統的な6つの陶磁器窯の総称です。この名称は1948年頃に陶磁器研究家の小山冨士夫氏によって名付けられたもので、2017年には文化庁によって「日本遺産」のひとつとして認定されています。
日本六古窯として数えられる窯は、「瀬戸」「備前」「丹波」「越前」「信楽」「常滑」の6つ。それぞれ独自の豊かな歴史と特徴を持つこれらの窯が所在する自治体では、日本遺産への認定以来「六古窯日本遺産活用協議会」を発足させるなどして歴史的遺産の周知・継承に取り組んでいます。
1-1. 六古窯の魅力と価値の背景
日本六古窯の魅力と価値の大きな背景となっているものは、その歴史の長さに裏打ちされた“地域文化の象徴”としての地位にあります。中世(平安時代後期~戦国時代にかけての時代)のはるか昔から焼き物を生産し続けてきたこれらの地域において、産出される陶磁器の品質は歴史を通じて磨き上げられてきたのみならず、それぞれの地域文化と一体となってきました。そうして生活の一部として存在してきた六古窯で生産される陶磁器には、大きな歴史的価値があるのです。
また、六古窯の歴史的価値はその希少性によっても裏付けされます。日本六古窯は元々「中世六古窯」とも呼ばれており、その呼び名の由来は“中世から続いている陶磁器窯が6つしか現存していないこと”にありました。中世には全国に80ヶ所以上あったとされる陶磁器窯ですが、さまざまな理由により衰退してしまい、残ったのはこの6ヶ所のみ。このようにして残ったわずか6つの窯で生産される陶磁器はそれだけ貴重なものであり、その希少性が価値の高さを支えています。
2. 日本六古窯その1:瀬戸焼
瀬戸焼は、現在の愛知県瀬戸市を中心とした地域で生産される陶磁器です。現代では陶磁器一般を「せともの」と呼ぶことがありますが、その呼び名はこの瀬戸焼に由来するもの。本章では、今や日本陶磁器の代名詞ともなった瀬戸焼の歴史や特徴について紹介していきます。
2-1. 瀬戸焼の歴史
瀬戸焼の始まりは、その時代に作られた窯の跡が見つかっていることから、平安時代とされています。特に瀬戸地域に焼き物が定着するきっかけとなった出来事は、中国で陶磁器製造について学んだ加藤四郎左衛門景正が、鎌倉時代にこの地で窯を開いたことでした。
平安時代~室町時代にかけてこの地域で作られた陶磁器は「古瀬戸」と呼ばれており、当時唯一の施釉陶器(素焼きの器に釉薬を塗って焼き上げた陶磁器)として高級品の扱いを受けていました。それ以降の時代には、茶道具から日常使いの品までさまざまな陶磁器がこの地域で生産されるようになっていきます。
2-2. 瀬戸焼の特徴
瀬戸地域では、六古窯のなかでもっとも古い時代から施釉陶磁器を生産してきました。このことから、瀬戸焼に使用される釉薬の種類も多岐にわたっています。灰が原料の「灰釉(かいゆう)」や鉄を原料とし黒褐色の「鉄釉(てつゆう)」、酸化した鉄分の黄色が印象的な「黄釉(おうゆう)」などがその例です。
またこの地では、まるで中国の白磁や青磁のような白く美しい素地を持つ陶磁器が生産されます。これは、この地が陶磁器作りに適した良質な土壌に恵まれたがゆえのことです。その他、瀬戸焼は染付や赤絵の技法に関しても卓越しており、多くの陶磁器ファンを惹きつけています。
3. 日本六古窯その2:備前焼
現在の岡山県備前市などが属する備前地域では、日本六古窯のひとつ「備前焼」を生産しています。瀬戸内の豊かな土壌によって生み出された釉薬を使用しない素朴な風合いの陶磁器は、唯一無二の魅力から常に多数のファンを抱えてきました。本章では、六古窯のなかでもユニークな特徴を持つ備前焼の魅力について紐解きます。
3-1. 備前焼の歴史
備前を含む瀬戸内地域では古墳時代より須恵器と呼ばれる土器が作られていましたが、それを継承・発展させる形で平安時代後期に生まれたのが備前焼です。当初の備前焼は瓦・皿・碗などに、後の鎌倉時代になると壺・甕・すり鉢などに利用されており、これは備前焼の持つ堅牢性の高さを評価されてのことでした。
室町時代~戦国時代にかけては、備前焼の素朴な風合いが茶道の精神に合致するとして、茶道具として広く親しまれるようになります。同時期の茶の湯の発展とともに茶陶としての人気を獲得した備前焼でしたが、やがてこの需要は落ち着いていきます。
江戸時代の備前焼を取り巻く状況は「大窯時代」とも呼ばれていて、幕府の庇護のもとに大規模な共同窯が開かれました。この時代には作陶に使用する土を従来の山で採れたものから田で採れるものに変更し、備前焼のねっとりとした質感が生まれるきっかけとなりました。
3-2. 備前焼の特徴
備前焼の特徴といえば、何といっても独特の素朴で簡素な風合いです。陶磁器の表面をコーティングする役割を持つ釉薬を使用しないことにより、器の表面にはそれぞれ唯一無二の変化が現れることとなります。これは「窯変(ようへん)」と呼ばれる現象で、焼成の過程で陶磁器に多種多様な変化をもたらします。
代表的な窯変のひとつが、発色の変化です。備前焼は、赤色・鼠色・黄色・こげ茶色とさまざまな色に発色し、ユニークな佇まいを見せてくれます。加えて、釉薬の不使用は器の表面に細かな凹凸を発生させることから、酒を入れると味がまろやかで美味になるとも伝えられています。
備前焼に使われる土の質感も見逃してはいけません。田で採取される備前焼製造のための土は粘度と鉄分含有量が高く、ねっとりとした質感を持っています。この土を使用した備前焼はどこか艶やかさを湛えており、「投げても割れない」と評されるほどの高い強度を持った作品に仕上がります。
4. 日本六古窯その3:丹波焼
丹波焼が製造されているのは、現在の兵庫県丹波篠山市を中心とする地域です。京都と大阪に挟まれたこの地域では、古くから人々の生活を支える道具としての陶磁器生産が発展しました。時代とともに形を変えながらも、確かに人々の生活に息づいた陶磁器を生産し続けている丹波焼の歴史と特徴について見ていきましょう。
4-1. 丹波焼の歴史
丹波焼の発祥は平安時代末期、同じく日本六古窯に数えられる常滑焼の影響を受けて始まりました。当初は壺・甕・すり鉢などを中心に、山の斜面に掘られた「穴窯(あながま)」で生産が行われます。江戸時代に入ると朝鮮式の「登り窯」が導入されて、短時間で多くの陶磁器を焼成できるようになりました。
なお、壺・甕・すり鉢の3つの道具は、中世における三種の神器とも言われるほど生活に密着したものでした。食料を保存・運搬・調理するためのこれらの道具は、中世の人々の暮らしを豊かにすることに貢献します。このように、丹波焼はその歴史の始まりから生活に息づいた民衆のための陶磁器であったのです。
4-2. 丹波焼の特徴と代表的な作品
丹波地域の土は粘り気が強い性質を持っており、火への耐久度が高いことでも知られています。こうした特徴を持った土を使用して作られた陶磁器は、素朴で温かみのある風合いを湛えます。色合いとしては黒褐色や灰色のものが多く、穴窯で焼成していた時代の丹波焼は「灰かつぎ」と呼ばれる独特の緑模様を持つことで有名です。
その他, 丹波焼によく見られる装飾技法には「釘彫文(くぎぼりもん)」や「魚文(ぎょもん)」といったものがあります。これらの装飾は、丹波焼の色合いにも通ずる素朴な様相を呈するもの。丹波焼の価値の真髄は、素朴さのなかにある土味や自然な風合い、手仕事ならではの繊細な味わい深さにこそあるのです。
5. 日本六古窯その4:越前焼
日本六古窯のなかで唯一日本海側のエリアに位置する越前焼は、北陸ならではの気候の影響を受けた土壌から作られるため、他の六古窯とは異なる特色を持っています。常滑焼の系譜に属する技法を用いた素朴かつ重厚な作風で、幅広い層のファンから支持される名窯です。
5-1. 越前焼の歴史
現在の福井県にあたる越前地方では、現代からおよそ1300年も以前に焼き物の歴史が始まりました。ただし、常滑焼の影響を受けた現在の越前焼にあたる陶磁器の生産は、平安時代末期の約850年前からとされています。
越前焼の文化が飛躍的に成長したのは、戦国時代のこと。当時の越前藩による庇護のもと高度な製陶技術が開発され、越前地域は日本海側における陶磁器生産の一大中心地となりました。
越前焼の主流は人々の生活に密着した日用陶器であり、江戸時代以降この地で生産された陶磁器たちは北前船に乗って北は北海道から南は島根県まで運ばれるように。こうして越前焼は、日本全国の庶民の生活を支える重要産業となっていきます。
5-2. 越前焼の特徴と代表的な作品
常滑焼の影響を受けて始まった越前焼の特徴は、ある程度常滑焼と共通しています。茶道における侘び寂びの精神にも通ずる素朴で奥深い佇まいを重視する美意識から、あえて華やかな印象を与える意匠は施されません。また、質素な風合いを作るために用いられる灰釉や焼締といった技法は、常滑焼でも使用されるものです。
色合いに関して言えば、北陸ならではの鉄分豊富な土壌に由来する赤褐色が特徴的です。この地域の代表的な生産品として赤褐色で有名な「越前赤瓦」があり、その耐寒性の高さから日本海地域で広く重宝されています。
ただし、北陸の土壌によって生まれる特色は色合いだけにとどまりません。越前地域の土は鉄分のほか石英などのガラス成分も多く含んでおり、焼成時に土の間にガラス成分が溶け込むことで隙間が埋まり、より堅牢に出来上がります。このことから越前焼は日常使いに非常に便利な陶磁器として広く知られることとなったのです。
6. 日本六古窯その5:信楽焼
現在の滋賀県南部にある甲賀市・信楽町は、六古窯のひとつである信楽焼のふるさと。原料を豊富に産出する山々に周囲を囲まれ、交通の要衝にも位置するこの地では、平安時代の昔から豊かな陶磁器文化を育んできました。愛らしい姿をした狸の置き物をはじめ、日常使いの器から建築用品まで幅広い陶磁器を生産しています。
6-1. 信楽焼の歴史
信楽焼の歴史の始まりは、鎌倉時代中期に常滑焼の技術が伝わった時。多くの消費者層を抱える大都市である京都や大阪に近い立地の信楽焼は、関西地域における陶磁器生産の中心として段々と名を上げていくこととなりました。
当初は常滑焼の影響から大甕や壺を製造していた信楽地域では、時代が進むにつれて無釉焼締のすり鉢や壺といった日常品を、安土桃山時代には当時流行していた茶道具を生産するようになり、現代ではタイルや建築用材といった製品まで手掛けています。時代ごとの需要に沿って柔軟に主力製品を入れ替える姿勢が、信楽焼を現代まで存続させてきた大きな要因と言えるでしょう。
6-2. 信楽焼の特徴と代表的な作品
信楽地域の土壌はざらっとした粗い性質の土からできており、その可塑性の高さから大きなものや肉厚のものを作るのに適しているとされています。そのため、茶器や花器のほか有名な狸の置き物の大型装飾品も作られるようになりました。
焼成には釉薬を使用しない焼締技法がよく使われていることから、作品一つひとつが異なった風合いを呈します。この作品ごとのユニークな特徴は骨董品としての価値の高さにも通じていて、ものによって高い市場価値を持つものも少なくありません。
釉薬を塗らずに焼いた信楽焼は主に暖色のベージュやピンク、赤褐色といった色合いを持つ場合が多いです。また焼成の最中に付着した灰が焦げ付いた黒褐色の色合いは「焦げ」、色が薄いものは「灰かぶり」と呼ばれており、茶道の世界で好まれる傾向があります。
7. 日本六古窯その6:常滑焼
日本六古窯のなかでも特に長い歴史を持ち、他の窯に大きな影響を与えてきた六古窯の父とも言える存在が、この「常滑焼」。窯を構えるのに最適な地形と土壌を持ったこの地域で焼成された陶磁器は、海路によって全国各地へと運ばれていきました。本章では、六古窯最大の陶磁器生産地である常滑における焼き物の歴史と特徴について解説します。
7-1. 常滑焼の歴史
平安時代の後期、猿投窯(さなげよう)の流れを汲んだ陶磁器窯が常滑に開窯されたことにより、常滑焼は始まったとされています。初期の時代には日常生活に欠かせない陶磁器のほか大型の甕や壺を多く生産しており、焼き物の主要産地として急速にその知名度を上げていきました。当時稼働していた窯の数には諸説ありますが、一説には数千とも言われています。
江戸時代になると、中国の急須を模して作られた「朱泥急須(しゅでいきゅうす)」と呼ばれる製品を作り上げます。美しい朱色を持つ朱泥急須は急速に人気を博し、現代に至るまで“常滑焼といえば急須”と言われるほどの常滑焼の代名詞的存在となりました。
明治時代には木型を用いた土管やレンガといった製品も生産するようになるなど、常滑焼は時代とともにその姿を変えてきた一面も持ちます。その長い歴史を通じて姿かたちを変えながらも日本六古窯のトップランナーとして常に最先端を走り続けてきた常滑焼は、現在でも日本の陶磁器界に影響を与え続けています。
7-2. 常滑焼の特徴と代表的な作品
古墳時代より現在の愛知県西部に多数立地していた猿投窯が、常滑焼のルーツです。須恵器を生産していた猿投窯では無釉焼締や灰釉といった技法を用いて焼成を行ってとされていますが、このうち常滑焼では焼締を主な焼成技法としています。窯の中で舞った灰が器の表面に付着することによって唯一無二の風合いが生まれる「自然釉」の特徴により、独特の味わい深さを楽しめます。
また, 日本陶磁器製造の中心である常滑焼の装飾技法は、バラエティに富んでいることも特徴です。櫛目で陶磁器の表面を引っ搔いて作る「猫描き」や焼成前の素地にぐるりと線を刻む「沈線」といった技法により、素朴さのなかにあるささやかな華やかさが生まれています。
常滑焼に使用される陶土は赤土が主で、鉄分を豊富に含んでいます。先述の朱泥急須もこの土質を生かして創出されたものであり、耐熱性に優れているほか長く使い込めば込むほど味わいが増す点も魅力です。
8. 日本六古窯にまつわる雑学:買取に出せば思わぬ価値が付く可能性も
日本六古窯の作品は数ある陶磁器のなかでも特別な価値を持っていることから、買取に出せば思わぬ査定額が出る可能性があります。査定額は多くの要素によって左右されますが、特に大きなものは作家の知名度・作品の種類や状態・付属品の有無などです。
もし陶磁器が日常で使用するために大量生産されたものでなく、人間国宝などの著名な人物によって作られた作品であるならば、かなりの買取需要が期待できます。また作品が収められていた共箱も品物を正しく査定する手がかりとなるため、査定時には付属品の有無が重要となります。
ただし、陶磁器は古いものであればあるほど状態の維持が難しいこともまた事実。近い将来に買取に出すことを考えている方は、過度な湿気や乾燥、直射日光や高所での保管を避けて、より良い状態で陶磁器を買取に出すよう心掛けましょう。
9. 現代における六古窯
長い伝統を誇る日本六古窯で焼き上げられた高品質の陶磁器は、現代においても人々の生活のなかに息づいています。そこで本章では、日本六古窯の陶磁器と現在の私たちの生活との関わりについて見ていきます。
9-1. 日本人の心に息づく六古窯
日本六古窯それぞれの伝統は、豊かな文化を継承しようとする人々の絶えまぬ情熱によって伝えられてきました。中世以来の数百年~千年に及ぶ歴史を持つ六古窯ですが、そのあり様は現代を生きる日本人の心にも通ずるものです。
六古窯の各産地はいずれも、良質な“土壌”を持っています。陶工たちは大地が育んだ良質の土をいくつかブレンドして、陶器生産に最適な生地を作り上げるのです。
このような生地を原料として焼き上げられる陶磁器の数々は、同じ窯で焼き上げられたとしてもひとつとして同じものを作ることはできないともされています。それぞれに異なる風合いを持つ焼き物のあり様は、自然界に存在する全てのもの、または人の心の形と同様。自然を尊び、それぞれの微妙な違いを楽しむ日本人の美意識の源流には、六古窯の歴史ある焼き窯で育まれた精神性が宿っているのかもしれません。
9-2. 六古窯に行ってみよう
先述のように、日本六古窯が存在する各自治体では「六古窯日本遺産活用協議会」を設置して、長い歴史のなかで育まれてきた伝統技術と文化を継承しようと取り組んでいます。
それぞれの地域で陶芸体験教室が多く開催されていたり、歴史的価値のある生産品などがミュージムに展示されていたりすることはもちろん、瀬戸市の「せともの祭」に代表される陶器市も盛んに開催されており、身近にその歴史が体感できる環境が整っています。
もし機会があれば、日本六古窯を訪れて日本の伝統産業の真髄に触れてみてはいかがでしょうか。
9-3. まとめ
本記事では、中世からの伝統を持つ「日本六古窯」の魅力や価値について解説してきました。
長い歴史のなかで日本六古窯は各地域の生活に密着し、実にバラエティ豊かな伝統を育んできました。独自の技法で焼き上げられた陶磁器の数々はそれぞれ特別な風合いを持っていて、他の生産地で産出された作品とはひと味異なる品格を持っています。
陶工たちによって情熱をかけて作り上げられ、一つひとつが異なる風合いを持つ六古窯の陶磁器たちは、現代日本人の心にも息づく豊かな精神性の象徴でもあります。特別な歴史的価値を持つ日本六古窯の陶磁器がもし手元にあれば、一度査定に出すなどしてその価値を確認してみてはいかがでしょうか。
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日本六古窯の作品は、千年の歴史を物語る日本遺産であり、骨董品市場でも非常に高い評価を受けています。特に「古瀬戸」や「古備前」といった希少な時代物、あるいは人間国宝などの著名な作家による作品は、驚くほどの価値を秘めている可能性があります。
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